不登校。
この言葉とこんなに密接に自分が関わるとは、娘が産まれた12年前は思いもしなかった。
わたしの母が、孫に関連する新聞の記事をピックアップして、読みやすいように折りたたみ、キレイに紙袋に入れてくれるその愛情が身にしみている今日このごろ。
不登校のシンポジウム情報や書籍、新設される施設や居場所情報など「知りたい」がギュっとつまった紙袋がはわたしにとって宝の束である。
葛藤という感情をこの2年間でひしひしと感じている。
学校に行かなくても就職をして自分のやりたいことをしている人もいる。
学校だけがすべてではないし、自分が通ってきた道じゃない進路、魅力的じゃないか。
友だちに、せめて放課だけでも会いに行けたらいいのにな。
もうすぐ中学生。先日採寸した制服を着て、自転車に乗っていけるようになるのだろうか。
朝になると、泣いてわたしに抱きつき、「お母さん、今日行かなくていい?行きたくない、ねえ行かなくていい?」と、ほぼ同じ身長の娘がその涙顔でうったえる。
3歳の小さな子どもが保育園に行きたくない、ママと離れたくないと泣く理由とはちがうから、抱き上げて車にのせるわけにも行かず、そんなことをしたら二度と口をきいてはくれないだろう。
学校に行く日はササっと準備をして自分で玄関をあけ、友だちと歩いて登校をしている。行かなくていけないことを本人が1番わかっているのだけれど、どうしてもスイッチが入らない日がある。
学校。
大きな集団生活が合う子もいれば、そうでない子もいる。
不登校の親になり、学校に行かない子がいても、行かないことを「つらい」と思わなくていい世の中になってほしいと願う。
原因やしんどい理由を探してそれが解決したらクリアというわけではない。複雑で見えづらくて、そもそも根本がどこにあるのか、本人にさえ見えない。
白黒はっきりさせてすべてが見えるようわかりやすかったらいいのだけれど、そうではないところに、しんどさがある。
学校一択ではなくて、もっといろんな過ごし方があったらいいのにな。
高額なフリースクールに、わたしたち親子にとって対応が合わなかった近所の適応指導教室。
生きているから、いつか自分の力で立ち上がれるから大丈夫という気持ちと「これでいいの?」部屋から聞こえるオンラインゲームで楽しそうに笑う娘の声に、葛藤が交錯する。
あと2週間で卒業式。
娘が安心して過ごせるよう支えていきたい。