はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
私は、猫好きの猫アレルギーです。
あのまん丸な目、そしてツンとした表情、なついているようで、実はそうでもないあの感じがたまらなく好きです。
中学生の制服が、まだぎこちない12歳の春、その子はやってきました。
なんだか私に似ていて、目と目の間が狭めな、飽きっぽく、活発な子猫が、ひょっこり我が家にやってきたのです。
学校に足が向かない
中学校に入学して2週間ほどしたころ、期待に胸を膨らませてくぐった門が、まるで今からおばけ屋敷に入場するかのように、ドキドキざわざわするかんじが止まりませんでした。
小学校のときから仲がよかった3人の子と同じクラスになり、何が原因だったか訳もわからず、無視をされるようになってしまいました。
他の友達はグループができ始めており、居場所を失った私の唯一の楽しみは、休み時間に図書室へいくことでした。
休み時間が終わると、1人トボトボと教室に戻り、決して楽しいとは言えない学校生活を送っていました。
子猫との出会い
思い足を引きずりながら玄関を出たある日、庭から子猫の「みゃー」というかわいい声がしました。
野良猫なら、人がいると知ったらすぐに逃げてしまうのに、なぜかその子はこちらに近づいてきました。
そしておもむろに、私の肩にひょいっと乗り、「会えてうれしいよ」と聞こえてきそうな声でまた「みゃー」と鳴きました。
しばらくそのかわいらいさに癒され、少しだけ元気をもらった私は、本当は行きたくないけれど、いつもよりは軽い足取りで学校に行くことができました。
授業中も、図書館にいるときも、またあの子猫に会いたい気持ちがどんどん膨らみ、片道20分の道のりをダッシュで帰り、その姿を探しました。
夜ごはん中も、お風呂に入っているときも、あの子のことが頭から離れませんでした。
なかなか寝付けない私は、納戸の奥にあったおもちゃ箱の中から、猫のぬいぐるみを出してきて、小さいころのようにぬいぐみを抱きしめながら眠りにつきました。
子猫との再会
次の日、寝不足の目を半分だけ開けて玄関を出ようとしたら、思いもよらないことが起きました。
なんとあの子猫が、私の方へ向かって走ってきているではありませんか。
「おはよー今日も会えてうれしいよ」
と言わんばかりに、短くて細いしっぽを空に向かってピンとたて、私の足にスリスリと寄ってきました。
周りをみわたしても、飼い主さんらしき人は見えませんでした。
「あっおなかすいてるの?」
と聞くと、昨日と同じくかわいい声で
「みゃー」
と鳴き、私は家に戻っておやつ用のにぼしを持ってあげました。
手の平にのせてあげると、ザラザラとした舌がくすぐったくて、初めての感覚に驚きました。
一生懸命にぼしをなめたり噛みちぎろうとしている姿がたまらなく愛おしく感じました。
学校に行くことをすっかり忘れていた私は、子猫に「いってきます」と手を振り、その後ろ姿もう一度だけ振り返って、真っ白なスニーカーをタンタンと鳴らし、走り出しました。
子猫との生活
それから子猫は、私の家の庭に住むようになりました。
家のすぐ隣りに車庫があり、そこに段ボールを置いて、中にタオルを敷いて猫の家を作ってあげました。
以前飼っていたインコと同じくらいかわいいので、「ピーちゃん」と、インコと同名にしました。
父は大の猫嫌いで、私や弟が撫でていると怪訝そうな顔をしており、母は、始めは飼うことに反対をしていました。
しかし、外で飼うことを約束し、母が猫用のキャットフードを飼ってくれ、子猫が成人になると、避妊手術をしに動物病院まで連れていってくれました。
危機一髪!
雪が降る寒い日には、「外ではかわいそう」と言う私たちに、母は根負けし、父が仕事から帰ってくる前までなら家の中に入れてもよいと言ってくれました。
母の料理する音や匂いをかぎながら、ストーブの前で温まるピーちゃん。
毎日、父が「今から帰るよ」の電話が鳴るまでは、家の中で一緒に過ごしていました。
そんなある日、事件が起きたのです。
母と弟と私、そして食卓テーブルの下にいるピーちゃんと食事をしているときに、玄関の鍵がガチャと開く音がし、父が帰宅したのです。
いつものように母が玄関へ出迎え、
「今日は電話は?」と聞いている間、私と弟は凍りついて身動きが1ミリもとれませんでした。
ピーちゃんの首輪には鈴が付いていて、動くともちろん音がしますし、鳴き声なんて出したら一貫の終わりです。
リビングのドアを開けて「ただいま~」と笑顔の父。
平然を装おうと、「おかえり~」と、漫画のようなぎこちない笑顔の私と弟。
父はピーちゃんの姿に気が付かず、洗面所に手を洗いにいきました。
母が、
「そーっと車庫に連れて行って!」
と小さい声で私に言い、私は凍り付いていた体を必死に解凍させて、机の下にいたピーちゃんの鈴を抑えながら抱き上げて、ささささーっと玄関にいき、車庫に連れていきました。
時間にしてほんの数分の出来事だったと思いますが、父が帰宅してリビングにくるまでの間、そして「ただいま」と「おかえり」の間に何時間も隙間があったような、鳥肌ものの体験をしました。
気づかれなくてよかった…
手を振り見送ってくれている母のように
朝、私が学校へ行こうとすると、待ってましたのように車庫から出てきてくれます。
のちに知った猫アレルギーの私は、生え変わり時期の毛に反応し、くしゃみが止まらず、毎日鼻水を垂らしながら、毛だらけの制服で登校していました。
そんな私を見送る係をしてくれていたピーちゃんは、家から50メートルくらい離れた曲がり角まで付いてきてくれます。
まるで足取りの重い私を察して
「大丈夫だよ、私が待っているからね」
とでも言ってくれているかのように毎日毎日いつもの場所まで来て、ちょこんと座って見てくれていました。
第2のお母さんのような存在にも見え、行きたくない気持ちをグッとこらえ、涙でにじむ目をこすりながら、自分を奮い立たせ、学校に向かっていました。
ピーちゃんの見送りが、どれだけ励みになり、支えになったか、今も鮮明にあの時のあの光景が目に浮かびます。
友達ができた!
6月の雨が降っていたあの日、休み時間にボーっと窓から外を眺めていた私に、
「結構降ってるね」
と声をかけてくれた子がいました。
クラスで一番の人気者で、男子にも女子にも好かれる安室ちゃん似の、こんがり焼けた美人さんです。
「うん、そうだね、湿気が多すぎて髪がボサボサだよ。」
と言う私に、
「くしあるから、といてあげる!」
と自分のくしで私の髪をといてくれました。
うれしさが込み上げ、心がポっとあったかくなり、
(雨よ、湿度よありがとう。髪がボサボサで本当によかった)
と思いました。
それからその子と私は2人でいる時間がどんどん増えて、一緒の部活に入り、学校が休みの日にはプリクラを撮りに出かけ、親友と呼べる友達ができました。
毎日が楽しくて、あんなに恐ろしかった学校の門が、雨あがりの助けもあってか、キラキラと輝いているように見えました。
突然の別れ
ピーちゃんとの出会いから1年と少し経ったころ、いつもなら私が玄関を出ると庭から挨拶をしに出てきて、見送ってくれるはずのピーちゃんがいません。
いつもの通学路を見ても、段ボールの中にも姿が見えませんでした。
えさのお皿は私が入れたまま残っており、そんな日が3日も続いた夕方、家のチャイムがなりました。
3件向こうとご近所さんが、
「お宅に猫ちゃんかな、うちの庭にいるの。亡くなっているみたい。」
死因は病気のようです。
目立った外傷がなく、3日前までは元気だったので、本当に突然のことでした。
わんわん泣く私の横を、キレイな段ボール箱にタオルを敷いた入れ物をもって、父がご近所さんの家に向かいました。
母も続き、弟に背中をさすってもらいながら、私もついていきました。
大の猫嫌いだった父は、大事そうにピーちゃんをだきあげ、箱に入れて、どこかに電話をし、車に私たちを乗せてでかけました。
動物の火葬場に付き、涙がなくなるんじゃないかってほど泣きました。
今までの思い出が頭の中をかけめぐりました。
幸せな時間をくれたことや、落ち込んでいた私に、ピーちゃんが親友を呼んできてくれたんだと思い、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
そしてあんなに猫嫌いだったのに、最後にピーちゃんを大事にしてくれた父は、動物を大切に育てている私と弟を怪訝な目でなんか見ていなくて、陰ながら一緒に育ててくれていたのかなと、そんな気づきもありました。
さいごに
ピーちゃんが家にきてくれた日、友達ができたあの瞬間、大切な存在を失って深く悲しんだ日、20年以上経った今も鮮明に覚えています。
支えてもらってばかりの私でしたが、ピーちゃんは幸せな人生を送れたのか、それがとても気になっています。
今でも私の心には、あの優しい眼差しが、あのかわいい鳴き声が残っています。
忘れられない出会いを胸に、母となった私は、ピーちゃんのような包み込むような心をもてるよう、前向きに生きていきたいと思います。