息子が2歳のころから1年間通った、療育園についての話です。
先日、母子通園の療育園で知り合ったママからラインでメッセージをもらい、何だかとても懐かしく、その頃の様子を思い出していました。
何もかも必死だった(今もですが)あの頃の自分に言ってあげたいなと思う言葉です。
「焦る気持ちはわかるけど、大丈夫、できるようになるよ」
周りを見れば、泣いている子はひかとまめだけ。
何が何だかわからず、とにかく椅子(この場所)にいれば害はないのではというような、不安な顔でいっぱいの2人でした。
そばにいたママから「なんで泣いてるの~?」と声をかけてもらい、私も泣きたい気持ちでいっぱいだったのを堪えていたことがありました。
楽しそうに絵本や手遊びを見たり参加したりする時間でも、2人は泣きながら私にぴったりくっついて、どこを見たらよいのか、今は何をする時間なのかがわからずとにかく不安な様子でした。
朝の会で自分の椅子から立ち上がり、前にいる先生のところにいって、ホワイトボードの自分のマークのところに、マグネットをくっつける活動がありました。
他の子は呼ばれたら手を挙げて自分でマグネットをくっつける子や、ママと一緒なら前に出られる子、それぞれのお子さんがそれぞれの方法で参加していました。
ひかとまめは、先生に椅子のところまでホワイトボードをもってきてもらって、マグネットを私と一緒に泣きながら何とかくっつけることができました。
前にいる先生のところまでの距離が遥か遠くに見えた記憶があります。
でも、半年後には1人で前にいき、「ここだよ」と指をさしてもらえば自分のマークのところにくっつけることができるようになりました。
そのときに、マグネットがくっつけられたことに注目することができたらなと今は思います。
「できていないこと」よりも「今ここまでできている」と思えると、気持ちが楽になったかなと思います。
周りとの差に、焦る気持ちはなくすことは難しいですよね。
でも、いつかできるようになると信じて見守ることがとても大切だと、今は思えます。
「母と離れられる時期はくるから安心して」
ひかとまめは、超が付くほど人見知りで、私以外の人が抱こうものなら火がついたように大泣きしてのけぞります。
肌感覚が敏感だったため、違う感触に反応をしていたためもあると思いますが、もう1秒たりとも外で私と離れることはない子たちでした。
療育園に通い始めて半年が過ぎたころから、母子分離の時間がありました。
お母さんは、「母の部屋」という休憩室でおしゃべりタイム、子どもたちは先生と1対1、もしくは1対2で課題をしたり園庭で遊んだりします。
2人と離れるときに、「母の部屋にいってきます。お外遊びが終わったら会おうね」と3歳の息子たちに声をかけて離れました。
そばにいた先生がすぐに興味をひく課題を出してくれ、何のことやらという初日でしたが、それ以降は離れることがわかり、大泣きが続きました。
心が何度もおれそうになりましたが、「だんだん泣いている時間が短くなってきていますよ」と先生から教えてもらい、「お母さんは必ず戻ってくる」ということがわかるようになってきてからは、涙は流さなくなりました。
離れるときは、どんな小さな子どもでも、黙って行ってしまうのではなく、どこへ行き、いつ戻るのか話しておくと徐々に理解できるのかなと思います。
いつになったら離れられるのか、母は先が見えず、大泣きする我が子が心配になりますが、産まれてくる時期も、お母さんと離れてヨシっと思える時期も、子どもが決めるのかなと、今はそう思えます。
まとめ
母子通園の療育園に1年間通って、はじめはここで本当に過ごしていけるのか、親子共に不安でした。
周りを見れば、優等生が目に入り、我が子ができないことばかり目に入っていました。
母子分離もうまくいかず、泣いて泣いて離れることをもう少し時期をずらしてもとさえ思いましたが、日に日に平気になっていく姿をみて、私も乗り越えようと自分に言い聞かせました。
焦りや、不安、心配になっていることを「失くそう」とするのではなく、それを先生や相談でき打ち明けてしまう方が、自分が楽だったかなと思います。
「大丈夫」だと思えるように、ほんの小さなことでも聞いてもられるだけで安心できるのかなと思います。
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